それが、1989年12月28日。 中森明菜が母として慕っていた女性ディレクター木村恵子という人物が執筆した暴露本のような書籍で、金屏風事件の真相のようなことも記されているようです。 実は、中森さんが近藤さんの自宅で自殺未遂を起こした時、 近藤さんの次に駆けつけたのは、メリー喜多川さんで、 中森さんが入院し、面会謝絶とされると、事件後1ヶ月もの間、当時、中森さんの事務所だった 「研音」は、社長を含め、誰一人、会わせてもらえず、 その間、メリーさんは、中森さんを親身に世話しつつ、いかに中森さんが 「研音」に搾取されているかというニセの情報を吹き込み、中森さんと 「研音」の関係にヒビを入れて、独立をそそのかしたそうで、 (実際には、当時の中森さんの年収は5000万円で、近藤さんの年収1000万円の5倍もあったのですが) これで信頼を得たメリーさんは、近藤さんとの仲をあきらめようとしない中森さんに、 マッチとの婚約会見をするので出てきてほしい と呼び出し(そのための金屏風)、いざ、中森さんが会場に到着すると、 近藤さんは関係なかったといいなさい と、謝罪会見をさせたと言われているのです。

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稼ぎもそうとうだったはずです。

当時の中森明菜さんの年収は5000万円以上だったそうなので、もし搾取を受けているなら、もっとギャラは少なくなるはずです。

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ですが、何故かジャニーズ事務所の「メリー喜多川」さんだけは中森明菜さんに面会していたそうなのです。

中森明菜さんが自殺未遂を起こして入院している間、ジャニーズ事務所の副社長メリー喜多川さんによる、一種の洗脳が始まります。

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<文春オンラインより> なんと…グループが入り乱れるわちゃわちゃ感と、いろんなグループの名曲を聞けると思ってきていたファンとしては、 想像を絶する苦しみですね。 近藤真彦さんが裏切ったからこそ、中森明菜さんは自殺を決意しますが、これも一種の復讐だったのかも知れませんね。

国民が年末年始を祝うタイミングで、記者会見が開かれたのは、陰でメリー喜多川さんが操っていたともされています。

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中森の元気な姿を令和の時代に見たいと、ファンは願っていることだろう。 中森明菜さんは6時間にも及ぶ大手術となり、無事に一命を取り留めることが出来たそうです。

中森明菜のショッキングな事件 バブルまっただ中の日本の芸能界で、 一番のホットな話題と言えば、中森明菜と近藤真彦の関係でした。

この頃熱愛が報じられていた男性トップアイドル、ジャニーズ事務所所属の近藤真彦の自宅で中森明菜は自殺未遂事件を起こしました。 中森明菜さんの自殺未遂事件が起こった後、最初に駆け付けたのはジャニーズ事務所の副社長だった「メリー喜多川」さんだったと言います。 国内では初となる消費税、税率3%が施行されたのはこの年から。

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中森明菜には生きているうちに幸を味わってほしい。